人間がアクティブに働ける期間がたかだか50年足らずに過ぎない以上、次世代のサクセッションプランは企業が将来にわたって継続するための大前提です。
ところが経営トップの後継者育成や事業承継には、複雑怪奇に見える謎があります。
「未来の成功にもっとも近い人物は誰なのか?」「いつどのように起用すべきか?」
「仕事の業績、同僚や部下からの人望、言動からうかがえる人格、真似のできないスキル、……多彩な評価軸のうち、何を重視しどのように選ぶべきなのか?」
「20年後のための人材育成は十分と言えるのか?」
直感的に候補は思い浮かぶとしても、どうしても合理的に裏付けることが難しいものです。
たとえば5年程度の短期間で体制変更を継続する上場企業であっても、自社の身近な実例は数回しか経験することがありません。
経営陣の交代は誰にとっても経験サンプルが少ないイベントであるため、記憶をたよりに一般則を探ろうとすると永遠の未解決ミステリーになってしまうのです。
人材プールの重要さ
人材選抜については、組織心理学の過去1世紀近くにわたるメタ分析の知見から、次のようなことが明らかになっています。
- 年齢と仕事のパフォーマンスには相関がない。年功序列方式は業績アップに効果的ではない
- 行動観察や対話を通じて仕事のパフォーマンスを予測できる。予測力は主に人物理解によるもので、仕事の直接の結果は予測力が低い
- スタッフレベルの仕事は業務理解度との相関が高いが、マネジャーの仕事は性格面の資質の割合が高くなる
- 過去の経歴は一定の意味を持つが、直接相関しているわけではなく性格理解の判断材料として機能しており補助にとどまる
- アセスメントセンターなど職場から独立した観察手法にはプロフェッショナル・サービスであっても追加の予測力がない
まず総合的なアプローチとして、スキルではなく資質が重要であり、マネジメントに適した性格は観察で見分けられる、という指針が立ちます。
育成と選抜の2つの手法を組み合わせる必要がある、という大前提を見落とすべきではありません。
性格がすべての鍵であるという事実に着目してていねいに考えていけば、複雑に見えるサクセッションプランの疑問も解決できます。
誰を選ぶべきか?という錯覚
ビジネス活動への適性は、経験ではなく主に資質で決まります。それは特定の性格を持つ人物であり、身近な人物の性格は理解できているものです。
つまり、性格の理解を通じてビジネス適性は予測できます。
それなら、なぜ人材の選定に迷いが生じるのでしょう?
中間的な結論として、個別の役職に「誰をアサインすべきか?」という疑問は錯覚から生じる二次的な問題と言えます。
じっさいには自社の人材プールに適任の候補がいない、という潜在的な課題を察知している状況と捉えるのが妥当でしょう。
企業にとって人材プールの厚みは生活習慣病のようなものです。
多少の手薄さが生じたとしても即座に問題になることはありませんが、時間をかけて表面化し、いずれ能動的な対策を打てない状況に追い込まれます。
「誰を選ぶべきか?」と迷う段階となると、すでに人材不足の症状が顕在化しています。
経営陣交代のシーンは象徴的に注目されがちですが、経営トップはトーナメント決勝の要素が強いため、選択の余地は相対的に乏しいものです。
プールが不健康な場合、誰を選んでも健全化しません。適任候補に納得感がない場合には、アサインすることよりも先に人材プールの改質から着手すべきです。
人材プールの改質
次世代の主役を輩出すべき人材プールは、単純に誰がそこにいるのかで決まり、人の入れ替わりがあれば即座に組織の実力が変動します。
長期の事象であるため見通しが悪いものの、心理学の知見を総合すると人材プールの質はじつは採用プロセスが決定している構造です。同時に、育成の限界を意識することも重要です。
企業のビジネス発展に伴って人材も成長する、という見方は典型的な誤認であり、因果関係が逆です。実際には、成長を牽引できる人材がいたからビジネスが発展したと解釈する方が研究データに体系的にフィットします。
成功を継続したい企業がもっとも重視すべきポイントは、適応と不適応を敏感に察知することなのです。適応力の高い人材をマネジメント実務にアサインし、不適応を観察したら人材プールから除外します。
人材プールの質は企業の成功とトラブルのあらゆる側面の源泉であるため、ベストを目指す以外の選択肢はありません。
多くの人が見落としている盲点は、自己ベストはベストではないという事実です。すべての企業に課題は存在するため、絶対的なベストを追求し続けることが大切です。
人材プールは、年齢別の構成も重要です。
次の経営者にとどまらず、5年後の経営者、10年後の経営者候補を育成する様子は、人材パイプラインと呼ばれます。
世代ごとに一定水準以上の能力レベルを確保し、断絶しないことが何より重要です。
中小企業に厳しいゲーム条件
実務の直感には反しますが、中小企業ほど人材プールの質を注意深く追跡する必要があります。
企業規模が小さいということは年齢層ごとの人数が少ないということでもあり、その中に各世代の主役が含まれなくてはならないからです。
世代の断絶は、ただ単に時が経過するだけで中小企業が倒産する確率を高めます。誰にでもできる業務であれば存続できるでしょうが、その場合には超過利潤が得られません。
賢明は誠実さ・楽観性・好奇心からなる
長期研究が描き出したトップに求められる資質とは、賢明であることです。
これは、歴史上さまざまな地域で繰り返し支持されてきた人物像でもあります。
賢明さのディティールは後述しますが、一定の幅を持った概念を指しています。
心理学の進展により、あらゆる人格をビッグファイブの5つのパラメータで特定できるようになりました。
人々が長い歴史の中で名君の条件として求めてきた賢明さも、ビッグファイブのセットで記述できます。
賢明とは、誠実で知的好奇心が高く、楽観性もあわせ持つ人格のことです。
少なくとも3つの徳を兼ね備える必要があることから、該当する人物は確率的に希少です。
対照的な人物像は、粗暴です。また、3因子のうち1つでも欠けている場合には怠惰・臆病・愚鈍となり、いずれも賢明さを感じることはありません。
日々の言動からこれらの欠点を感じることがあるなら、人々はその人が現在または将来のリーダーとしてふさわしくないことを潜在的に察知しています。
そして現実に、賢明のプロフィールから外れるマネージャーの組織では、よく知られているような企業不祥事やメンタル不調、ハラスメントが起きます。
古今東西、リーダーの役割は不確実性との戦いなど一定の共通性があるため、適性のある人物像にも会社や国、時代の違いすら超えて、共通点があるのです。
類型論の誤解を避ける
性格分析に関するよくある誤解として、MBTIなどの類型論を用いてカテゴリー分けしたい、というものがあります。
しかし、MBTIは賢明や粗暴といった誰もが知覚している性質の多くを表現できません。
カテゴリーやタイプ分類する類型論は、20世紀半ばの心理学の発展の中で途絶しており、性格を適切に捉えられない手法と位置づけられています。
研究の経緯は
ていねいに分かるビッグファイブ
で解説しています。
評価プロセスを選抜に活かす
人材選抜の原則は簡潔です。
積極的に誠実さを感じること、つねに発想にあふれ機敏さを感じること、苦境にも楽観性を感じること、この3点に沿って人物観察を継続することです。
人材プールの質を測る性格分析には、一般的なビジネス活動の評価プロセスや蓄積データも生かせます。
ただし評価指標のうち、業績リザルトや業務経験には予測力がないため、選抜指標から意識的に除外する必要があります。
たとえば、上司の指示どおりに行動しただけの人物が高い業績をあげたケースでは、たとえ効果的なビジネスプロセスの経験を獲得しているのだとしても、将来にわたって高い業績を上げ続ける保証は何もない、ということです。OJTの空転は多発します。このシーンの業績評価を人材選抜の評価に活用するには、本人の主体的な関わりの描写が不可欠です。
年齢と仕事のパフォーマンスが無関係である事実も、単に知っていることの無力さを示しています。
長い目で見れば、仕事のノウハウはたしかに重要であるものの、伝承する人材の質が落ちることで簡単に断絶する法則からは逃れられません。洗練されたソフトウェアがあってもハードウェアの機能不足があれば全く実行できない関係にも例えられます。
人望を区別する
民主主義は支持獲得の競争であり、歴史上の名君も人望のエピソードを多く伴います。人材選抜に人望を考慮することは有効なのですが、その定義には注意が必要です。
プラス評価すべき人望とは、その人の賢明な性格特性を多くの人が直接支持しているケースのみに限定しなくてはなりません。
これは民主主義の弱点でもあるのですが、人を支持する理由にはバラつきがあります。
金権政治は評価を歪めますし、噂やSNSは人格と無関係な支持を生み出します。
ビジネスの好業績には賢明な性格が必要であるため、賢明さが広く支持された証拠でなければ人望は成功を予測しません。
利害関係にもとづく派閥が形成されているような組織では、人望は考慮から外すべきです。そもそも間接指標であり、必須条件ではないのです。
後継者育成のハードな制約
多くの企業でリーダーシップやアントレプレナーシップの育成が課題として認識されていますが、既述のとおり純粋なスキル習得とは異なります。
欠けていれば育成が必要と感じるのは自然なものの、必要性を認識したからといって成功が約束されている関係ではありません。
ラム=チャランは次世代経営トップの育成について、キャリアの早期から部分的な経営手腕を問われるような要職を経験させる必要があると述べています。
経営トップの資質をCEO細胞と呼び、希少な商才としてごく一部の人材が20代から経営プロセスに適応力を発揮します。最終的に役員就任するまでに経験できるポスト数はごく限られているため、CEO細胞を持つ人材を発掘し、途中のキャリアパスをスキップして大役をクリアしていく必要があります。
つまり、次世代の幹部育成プロセスはかなりの部分が生のビジネス環境への適応であり、人選を間違えれば早々に不適応症状を起こして終わります。
育成には現任の経営者による長期の徒弟制が必要となり、不適応は経営トップの時間と労力の喪失にも直結します。
失敗に終わる方法論はスキルではない
OJTを通じた育成が不調だからといって、研修などのスキルアップ施策で埋め合わせることはできません。
計算やパズルなどを用いて脳の認識能力を高めようとする手法からは、実際にはその練習した特定タスクの能力アップしか得られないのと同じことです。
もし経営マネジメント能力がスキル主体なのだと仮定すると、10年程度の長いスパンで見たとき方法論のブラッシュアップにより幹部人材層の厚みが増していき、人材プールの逼迫は解消していくはずです。
それとともに、経営トップは誰にでも務まる役割である、という主張も広く支持されるでしょう。
しかし、ダウジョーンズ工業指数が導入された1896年以降に限っても大企業の歴史はすでに120年以上経過しており、経営者の逼迫状況は何も変わっていません。
つまりスキルを駆使して問題解決しているのではなく、スキルを獲得できた知力を駆使して問題解決していると見るべきです。
微妙な違いに思えるかもしれませんが、スキルをどの程度重視するか?という点で両者は対立するスタンスです。
サクセッションプランとは希少な人格の持ち主を探索する活動です。
昇進プロセスにとどまらず、採用段階から一貫した選抜を行うことが成功への第一歩なのです。
冗長性を設計する
性格に着目して賢明な人物を選ぶ、という原則によりサクセッションプランに関する混乱を整理しました。
産業の発展につれてビジネスが複雑化したことで、スキルや定量的な業績に目を奪われやすくなったものの、新たな指標は結局のところ性格による適応力の関数だったと言えます。
生物の適応的進化でよく知られるように、長い目で見た際の適応能力は冗長性がカギになります。
たとえば、役職が10ポストある会社で、その役職に割り当てられる人材が15人いる場合には5人分の冗長性があります。
冗長性のないケースでは、欠員が生じた場合に、別のポストをすでに担っている人物が兼務する展開になります。
欠員の例からも想像できるとおり冗長性がない組織は変化に弱いため、企業は賢明な人材を数多く獲得することに貪欲である必要があるのです。
多様性も再定義を問われる
冗長性は多様性に直結します。
賢明な人物を探し求めていくと、結果的にデモグラフィック属性は多彩になります。
人種やLGBTQといった属性と性格は独立した要素だからです。
ただし、多様性がビジネス成長のドライバーであるという証拠はなく、おそらく派生的な結果に過ぎません。
差別は間違いなく機会損失につながりますが、一方でアファーマティブ・アクションにも効果は期待できません。
組織に多様性を持たせようとするか否かは個々の企業の哲学的洞察に委ねられます。
意図的に多様性をデザインしたいのであれば、直接的にビッグファイブの多様性を計測することが重要です。
無秩序が成功を約束することはないため、いずれにしても賢明さを外すことはできません。