過労死を整理する
日本特有のビジネス慣行として、Karoshi1 (過労死)は Kaizen (カイゼン)と並んで国際的に最上位級の想起語です。 2014年6月に過労死等防止対策推進法が制定され「日本では人が働きすぎで死に、専用の法律が作られている」と諸外国に素朴な衝撃を与えています。 この法律にもとづいて、政府は各年の白書を刊行して追跡しています。
2026年時点で、過労死はとくに解決の方向に向かっておらず、直近は増加傾向です。 この間、統計上は長時間労働を部分的に減らすことができていますが、最終的なアウトカムをコントロールできていません。
世界に広がるKaroshi
過労死の本体は、長時間労働に伴う脳・心臓疾患と捉えられ、メンタルヘルスの悪化の延長にある過労自殺(Karojisatsu)とは事象を区別して追跡されています。
長時間労働が健康に与える悪影響は、概念発祥の地である日本が1960年代に基礎的な研究フレームワークを見出し、労働災害を取り扱う社会制度としても先行しました。
そして、WHOのGlobal Plan of Action on Workers’ Health (2008-2017)がリードしたことで、全世界の職業性疾病を対象として同様の学術研究が進められました。
いくつかの大規模な研究から、次のような結果が確認されています。
| 研究 | 結果 |
|---|---|
| Descatha et al., 20202 | 週35〜40時間勤務と比べ、週55時間以上の勤務では、脳卒中の発症リスクが35%高い |
| Li et al., 20203 | 週55時間以上の勤務は、週35〜40時間勤務と比べ、虚血性心疾患リスクを17%押し上げる |
| Kivimäki et al., 20154 | 脳卒中リスクは勤務時間の増加に伴って段階的に高くなる(週55時間に飛躍的ステップがあるわけではない) |
| Pega et al., 20215 | 2016年には週55時間以上の長時間労働によって、虚血性心疾患・脳卒中あわせて世界で約745,000人が死亡したと推計 |
これによって、仕事が原因となって死亡する最大の要因は、全世界的に見てもやはり長時間労働であることが明らかになりました。
近年WHO・ILOは、各国の長時間労働の傾向をウォッチし、勧告を出すようになりました。
医療ガイドラインから再解釈する副次要因
長時間働くと脳・心疾患のリスクが上がることは間違いないのですが、その波及経路は生活習慣の影響も強く受けます。 自衛の観点では、副次要因の知識を持つことも有効です。
脳・心臓疾患に関する医療ガイドラインは、これらが血管の慢性異常を背景としており、高血圧・糖尿病・脂質異常症・喫煙を主な危険因子としています6。
死亡や病気の観点から見るとき、塩・砂糖・脂肪といった食事面の慢性的な悪化や飲酒・喫煙に着目することが重要で、これらは予防可能な要因と位置づけられています。 塩による血管の慢性炎症やLDLコレステロールの蓄積で、年齢不相応に血管の老化は進みます。
多くの実ケースで長時間労働と生活習慣病が両立するため、まず可能な対処として「ファストフードや外食・コンビニ弁当・居酒屋などへの依存を制御する必要がある」と多くの医師は言うのではないでしょうか。
実行が難しい事情はあります。 現実問題として、医師のアドバイスに沿うには食材を意識して家庭で調理をする必要があり、外食の選択肢は多くの場合いずれにしても塩分過多にはなりがちな環境です。
しかし話を総合するなら、健康的な食生活は必要不可欠と言えます。
日本特有の部分は残る
過労死の典型的なストーリーは、長時間労働が続いたすえに突如職場で倒れ、医療機関に搬送されるものの脳卒中/心筋梗塞で亡くなる、という現象です。
日本以外でも従業員が職場で倒れることはあり、労働安全上の問題として調査対象です。しかし多くの場合、個人の病気であると分類されていると考えられます。
現実問題として、日本の長時間労働が根強く残っている背景があります。
過労死白書は、週49時間超労働者の割合が、男性で20.4%と欧米諸国(アメリカ15.3%、イギリス12.5%、フランス10.9%、ドイツ6.4%)より目立って高いと認識しています7。
WHO・ILOが用いている週55時間基準を超える労働時間は、日本では引き続き珍しくないことを示しています。
週55時間を日本でよく使われる基準に換算すると、月65時間の時間外労働に相当します。
原則は月45時間に制限されているものの、既述のとおり男性の2割が超過しているので禁則として機能している基準とは言えません。 また、労災の認定は月80〜100時間の時間外労働に集中します。
日本はKaroshi概念を輸出し、世界に長時間労働の危険を提示し、WHO主導による科学的な基準推定に貢献しました。 しかし、その新たな知見を逆輸入していないのです。
労災の補償が支払われるか否かよりももっと手前で現実のリスクが上がっているので、極端な長時間を中心に規制しても過労死が減りにくい構造です。
疾患は段階的にリスク上昇する性質があるため、過労死を実効的に防ぐ観点からは週49時間労働はハードに守るべきリミットと言えます。
長時間労働の問題
長時間労働の主要な問題は2つあります。
ひとつは、追加の労働コストが壊れている点。裁量労働は長時間労働の温床になりやすいと指摘されています。
当然の前提として拘束時間に対して賃金がないという契約条件は成立しません。 日本でも違法ですが、政府は労働時間だけでなくサービス残業もコントロールしようとしており、実態として根強く存在しています。 2024年には、労働基準監督署が11,230事業場に対して違法な時間外労働の指導を行ったと報告しました8。
そして、より根本的な問題として、日本人の多くが長時間労働を必要なものと捉えている点です。 日本以外の人が揃ってクレイジーだと非難するポイントとして知られているにも関わらず、いつまでも改まることがありません。
日本など東アジアの一部をのぞくと、諸外国の労働者は契約義務を大きく外れるような長時間労働にそもそも付き合うことがありません。 世界の標準的な感覚からすれば、この点に追加の説明は何もないのですが、日本人は「なぜ長時間労働が必要なのか」に、たくさんの付帯ストーリーを持っています。
日本的経営症候群
あらゆる問題をプロセス改善で解決しようとするカテゴリ誤認が、日本特有の病状の深層にあります。
“日本的経営"の Kaizen が Karoshi を再生産している9。
過労死の現場は、予兆の段階でそもそも仕事がうまく行っていません。
仕事がうまく行かないとき、日本人は「どうすればうまく行くのか?」を考えます。 上司からの指示は「どうすればうまく行くのかを考えなさい」というものです。
5時間かかる仕事に対して業務時間が1時間しかないとき、その仕事は実行できません。 しかし業務時間が1時間であっても締切が翌朝だとしたら、日本ではその仕事は可能になりがちです。 日本以外の国では、このような業務があれば誰でも激怒して断ります。 その自然な応答が日本では壊れているのです。
この例では部分的な Karoshi をともなって業務が終わる余地がありますが、もちろん終わらない仕事や成功確率の低い仕事もあります。 その場合には、仕事が失敗に終わります。 犠牲を払って失敗に終わるとなると激怒のグレードを上げるのが世界標準の反応ですが、日本ではこの形式の失敗はベターな努力と捉えられがちです。
着手前の拒否が起きないことの最大の問題は、実行中の失敗が増えるため、プロセス改善で成功の可能性が上がると誤認するバイアスがかかることです。 不利な仕事を引き受ける側も、Karoshiメカニズム強化の一翼を担ってしまっています。
そして、脳・心臓疾患の原因の多くが企業と直接結びつけられて過労死という概念が生まれるのは、多くのビジネスパーソンがこの構造に恨みを持っているからです。
資源配分の視点を取り戻す必要がある
日本的経営の本質は、ノーマネジメントです。 マネジメントのコア機能は資源配分ですが、日本は資源配分の妥当性に目を向けません。
主な経営課題が「育成が思ったように進んでいない」という認識なのだとすると、考えを改めるべきタイミングを迎えています。 近年、一般認知能力に関する学術研究に合意が得られ、「考える力を伸ばす」といった効果を得られる訓練は存在しないことが確認されました。 19世紀末から始まった認知能力強化の研究ですが、健康な成人の知力を改善する期待については終焉を迎えています。
一方で、性格特性の研究が長足の進歩を遂げ、企業の能力は性格にもとづくマネージャーの人選でかなり決まるということも分かっています。
科学標準のビックファイブにもとづいて社内の性格分析を行うことで、人選のためのデータベースを構築できます。これは地図だけで目的地を探すのではなくGPSで現在地を特定するようなものです。 Deciderは、企業が手軽に使えるビッグファイブ分析を提供します。
これらの知見を総合すると、「どうすればうまく行くか?」を考えるのは現場担当者ではなくマネージャーの役割とすべきです。 これまでも実行不能な条件であることは気づいていたはずで、うまく行く可能性のない仕事は着手前に単に断念すべきです。
これを徹底するだけで諸外国と同じ挙動になるので、過労死は無くなるはずです。
当然ながらマネージャーには考える力は必要で、これは安定して変わらない資質であるため、配置転換の試行錯誤が必要になります。
この意味の育成は幻想ということが分かった以上、過去の育成が無駄になるということはありません。うまくいっていないのであれば別のマネージャー起用に機会があります。
過労自殺について解説を省略しましたが、過労死等防止対策白書を読めばマネージャーの挙動の問題が大きいことがすぐに分かるでしょう。
これまで、日本人は認識がずれ続けてきましたが、世界各国のビジネスパーソンが非難していたのは、まさにこのことです。
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Descatha, A., Sembajwe, G., Pega, F., Ujita, Y., Baer, M., Boccuni, F., et al. (2020). The effect of exposure to long working hours on stroke: A systematic review and meta-analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related Burden of Disease and Injury. Environment International, 142, 105746. ↩︎
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Li, J., Pega, F., Ujita, Y., Brisson, C., Clays, E., Descatha, A., et al. (2020). The effect of exposure to long working hours on ischaemic heart disease: A systematic review and meta-analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related Burden of Disease and Injury. Environment International, 142, 105739. ↩︎
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Kivimäki, M., Jokela, M., Nyberg, S. T., Singh-Manoux, A., Fransson, E. I., Alfredsson, L., et al. (2015). Long working hours and risk of coronary heart disease and stroke: A systematic review and meta-analysis of published and unpublished data for 603,838 individuals. The Lancet, 386(10005), 1739–1746. ↩︎
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Pega, F., Náfrádi, B., Momen, N. C., Ujita, Y., Streicher, K. N., Prüss-Üstün, A. M., et al. (2021). Global, regional, and national burdens of ischemic heart disease and stroke attributable to exposure to long working hours for 194 countries, 2000–2016: A systematic analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related Burden of Disease and Injury. Environment International, 154, 106595. ↩︎
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2023 年改訂版 冠動脈疾患の一次予防に関する診療ガイドライン ↩︎
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令和6年度過労死等防止対策白書資料編p.9。女性の週49時間超労働者の割合は、日本6.7%、アメリカ7.0%、イギリス5.0%、フランス5.1%、ドイツ2.0% ↩︎
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令和6年度過労死等防止対策白書 ↩︎
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このKaizenには、コア概念であったTQC活動などは含みません。TQCは長時間労働とは対立概念に近いでしょう。問題はカイゼンが指していた範囲を超えて拡大解釈され、もともと製造業で何を指していたのかすら理解していないような主張から来ていると考えられます ↩︎